東京地方裁判所 昭和36年(ワ)5045号 判決 1964年4月28日
原告
岩見案山子
右訴訟代理人弁護士
山本嘉盛
被告
国
右代表者法務大臣
賀屋興宣
右指定代理人検事
河津圭一
同法務事務官
岡田重三
主文
被告は原告に対し、金八〇〇万円およびこれに対する昭和三六年七月二一日から支払ずみまで年五分の金員を支払うべし
原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを二分し、その一を原告、その余を被告の各負担とする。
事実
(申立)原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し金三〇〇〇万円およびこれに対する昭和三六年七月二一日から支払ずみまで年五分の金員を支払うべし。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求めた。
被告指定代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。
(事実上の陳述)一、原告の請求原因として主張および被告の主張に対する答弁。
(一) 原告は、その所有する大型自家用自動車につき、昭和二九年二月ごろ東京陸連局から「移動店舗車」として自動車検査証をうけ、昭和三〇年四月ごろから大型自家用自動車五輛を使用して、新宿駅を起点として東京都内およびその週辺の競馬場、競輪場、競艇場まで観客を無償で送迎して、その車内で酒類、菓子類等を販売することを業としていたところ、昭和三一年七月二日法律第一六八号により従来の道路運送法(昭和二六年六月一日法律第一八三号)が改正され、同年八月一日から施行されることとなり、改正後の道路運送法によれば無償の旅客運送事業も同法にいう自動車運送事業に該当することとなつたため、原告が前記事業を継続するためには同法第四条第一項にもとずいてその経営につき運輸大臣の免許をうけなければならないこととなつた。そこで、原告は、前記事業につき改正法施行の日より三〇日以内である昭和三一年八月三〇日に運輸大臣に対していずれも無償の一般乗合旅客(限定)自動車運送事業免許申請と一般貸切旅客自動車運送事業免許申請をするとともに、改正法附則第二項の規定によれば、右申請に対し免許をし又はしない旨の処分通知を受けるまでは従前と同様無償の自動車運送事業を経営し得るので、引き続き右事業を継続し、昭和三二年四月ごろまでには漸次増車して別紙目録記載の大型自家用自動車九輛を使用するにいたつた。
(二) ところが、東京都知事は原告に対し、原告の前記事業は本来有償の自動車運送事業であるとの前提から、その継続は改正後の道路運送法第四条に違反するとして、原告所有の大型自家用自動車について昭和三三年五月七日付都陸輸第一七三九号をもつて一カ月間の使用禁止およびその附帯命令処分をしたので、原告は前記処分の取消を求めるために東京地方裁判所に行政訴訟を提起しつつ、前記事業を継続していた。しかるところ、東京都陸連事務局長は同年同月一五日東京地方検察庁に対して原告の前記事業が改正後の道路運送法第四条、同法第一〇二条第三項、第四三条の二第一項に違反するとして告発し、東京地方検察庁は右告発事実を捜査した結果、同年六月六日東京簡易裁判所に対し(1)原告がその所有の大型自家用自動車九輛を使用して昭和三二年六月一日ごろから昭和三三年五月一二日ごろまでの間多数回にわたり新宿駅西口附近と都内および近県の競馬場、競輪場等の間を路線を定めて定期に往復運転して旅客から運送賃として合計金一四〇万円を受領し、もつて無許可で一般乗合旅客自動車運送事業を行つたこと、(2)昭和三三年二月一六日ごろから同年五月一二日ごろまでの間多数回にわたり小学生等の団体旅客のため都内回遊又は都内と近県との間の往復運転をして貸切運賃として合計金一八〇万円を受領し、もつて無許可で一般貸切旅客自動車運送事業を行つたこと、(3)東京都知事の自動車使用禁止処分およびその附帯命令処分に従わなかつたことを要旨とする公訴事実により原告を起訴した。
(三) 一方、東京地方検察庁担当検察官は昭和三三年五月二一日前記被疑事件にもとずいて、裁判官の令状を得たうえ、当時原告が所有し前記事業に使用していた別紙目録記載の大型自家用自動車九輛(以下本件バスという)のうち、修理に出していた一輛を除く同目録番号①ないし⑧の八輛を登録番号票自動車検査証、エンジン鍵六個とともに証拠物として差押え同日右八輛の保管を原告の内妻山中静に委託した。その後、同年一一月二五日には修理に出していた同目録番号⑨の一輛を証拠物として領置してその保管を原告に委託するとともに従前山中静が保管していた前記八輛をも原告に保管委託替えをし、結局本件バス九輛につき原告をして東京都新宿区内藤町一番地通称新宿御苑通りの道路上で保管せしめた。
そこで、原告は自己の使用する修理工員二名を毎日本件バス内に常駐させて本件バスの破損部品の盗難等の防止に努めるとともに新宿区役所から仮ナンバーの交付をうけて本件バスの運行状態を試験してその機能低下をはかる等、その保管義務をつくしていたところ、担当検察官は、原告を被告人とする前記刑事事件の第一回公判期日が同年九月一一日に開かれその後数回の公判が開かれているにもかかわらず、押収にかかる本件バス九輛をその証拠物として裁判所に提出するでもなく、さりとて、原告に還付又は仮還付するでもなく、漫然と前記保管委託の名目で押収を続継していた。そこで原告はその資力等からもはや本件バス九輛の保管を継続することが不可能となつたので、前記刑事事件の第六回公判期日である昭和三四年二月一一日にその公判廷で担当検察官に対し原告の保管能力が限界に達したとの理由で本件バス九輛の保管委託を辞退するとの意思を表明したところ、担当検察官はこれを了承して以後は検察庁がその責任で本件バス九輛の保管をすると確約した。したがつて、原告の本件バス九輛の保管義務は同日をもつて終了し、以後は検察庁が直接その保管義務を負うにいたつたものである。
(四) しかるに、担当検察官は同日以降本件バス九輛の保管についてなんら適切な処置をとることなくその盗難、破損等の予防のための監視者すらつけることなくして漫然と前記道路上に放置したままでその押収を継続し、その間、本件バス九輛の破損をおそれた原告からの再三にわたる仮還付の申請はいずれも拒否された。そして担当検察官は前記押収から一年余を経た昭和三四年六月一日にいたりようやく本件バス九輛につき前記刑事事件の証拠物として東京簡易裁判所に検証の申出をし、同裁判所は同月二九日これを検証のうえ押収し、同年八月三日これを原告に還付した。しかしこれより早く、本件バス九輛はいずれも検察官による前記押収の継続および放漫な保管方法のため、すでに、その重要な部品は盗まれかつ車体のほとんどは破損してまつたく廃品同様の物品となつており、原告は多大の損害をこうむつたのである。<以下省略>
理由
一、原告が、昭和二九年二月ごろその所有する大型自家用自動車につき東京陸運局から「移動店舗車」として自動車検査証をうけ、昭和三〇年四月ごろから大型自家用自動車五輛を使用してその主張の区域、区間で客を送迎し、その車内で酒類、菓子類等を販売したことがあること、昭和三一年七月二日道路運送法が原告主張のように改正された結果、原告がその主張の日にその主張のような免許申請を運輸大臣にするとともに引き続き原告主張の事業を継続していたところ、東京都知事は右事業は有償の自動車運送事業であり、道路運送法に違反するとして原告に対しその主張の日にその主張のような行政処分をしたこと、原告がその主張のように東京地方裁判所に行政処分取消訴訟を提起していたところ、東京陸運事務局長が昭和三三年五月一五日東京地方検察庁に原告主張のような告発をし、東京地方検察庁は右告発にもとずいて捜査を遂げた結果同年六月六日東京簡易裁判所に対し原告をその主張のような公訴事実にもとずき起訴したこと、一方担当検察官は昭和三三年五月二一日裁判官の令状を得て当時原告の所有していた本件バスのうち別紙目録番号①ないし⑧の八輛をその自動車検査証およびエンジン鍵六個とともに差押えて同日その保管を原告の内妻山中静に委託し、さらに同年一一月二五日には別紙目録番号⑨の一輛を領置してその保管を原告に委託するとともに前記①ないし⑧の八輛をも山中静から原告に保管委託替えをしたこと、しかして、担当検察官は昭和三四年六月一日本件バス九輛につき原告主張の刑事事件の証拠として東京簡易裁判所に検証の申出をし、同裁判所は同年六月二九日右刑事事件の証拠物として検証のうえ、これを押収し、同年八月三日原告に還付したことはいずれも当事者間に争いのないところである。
二、原告は、本件において担当検察官が本件バス九輛を昭和三三年五月二一日(うち番号⑨の一輛は同年一一月二五日)から昭和三四年六月二九日まで留置の必要もないのに押収を継続し、その間還付又は仮還付をしなかつたのは刑事訴訟法第二二二条、第一二三条に違背した違法の処分であると主張するので判断する。<証拠―省略>ならびに本件口頭弁論の全趣旨と前記争いのない事実をあわせると、前記被疑事件の捜査の端緒は東京陸運事務局長の東京地方検察庁に対する告発によるものであつて、東京地方検察庁は右告発にもとずき右被疑事件を捜査した結果原告が本件バス九輛を使用して国鉄新宿駅等を起点として東京都内およびその周辺の競馬場、競輪場等まで客を送迎しその車内で客に酒類その他の飲食物を提供して右飲食費の名目のもとに実質上の運送賃を徴収していること等の事実をつかみ、これひつきよう原告が運輸大臣の許可なくして有償の運送事業を経営しているものであるとし、担当検察官は昭和三三年五月二一日に前記被疑事件の証拠物として本件バス九輛のうち番号①ないし⑧の八輛を差押えたが、その際各車輛の登録番号票、自動車検査証(自動車検査証はこのとき本件バス九輛全部について押収した)およびエンジン鍵六個をもあわせて押収したこと、その後同年六月五日には担当検察官は前記被疑事件の証拠保全のために本件バス八輛の外形、性能等の実況見分をしてその結果を調書に記載するとともに右バスを撮影してその写真も右調書に添付していること、一方東京地方検察庁は同年同月六日東京簡易裁判所に対し原告を前記公訴事実により起訴し、右刑事事件の第一回公判期日は同年九月一一日に開かれ右期日において原告は客からの金員の受領は運送賃としてではなく飲食代としてである旨を陳述した外その余の公訴事実を認め、同裁判所は右事件を簡易公判手続によつて審理する旨の決定をし、右手続によつて証拠調がなされたがその際には本件バスの証拠調請求はされていないこと、つづく第二回公判期日(同年九月二七日)、第三回公判期日(同年一〇月二一日)、第四回公判期日(同年一一月二五日)、第五回公判期日(昭和三四年一月一二日)はいずれも被告人である原告側の事情あるいは同裁判所の事情から延期となり、第六回公判期日(同年二月一一日)にいたつて原告がにわかに前記公訴事実を全面的に否認して営業の主体は原告ではなく昭和交通株式会社である旨陳述したので従前の簡易公判手続による旨の決定は取り消されて以後の審理は通常手続によることとなり、そこで担当検察官はあらためて冒頭陳述のための期日続行申請をし、第七回公判期日(同年三月二七日)は原告側からの公訴事実に対する釈明要求に終始し、第八回公判期日(同年五月六日)も延期となり、担当検察官は第九回公判期日(同年六月一日)に同裁判所に対し本件バス九輛の検証の申立をしたこと、その間原告は昭和三三年一一月二五日に本件バスのうち番号⑨の一輛を東京地方検察庁に任意提出(同日検察庁領置)するとともに本件バス九輛の仮還付方を検察庁に申請していたところ、担当検察官は当初は本件バス九輛がいずれも右刑事事件の重要な証拠物であるとともに、任意的没収の対象物件でもあるうえ、当時原告は期日を定めて本件バスを公衆の面前で焼却すると揚言した等の事情もあり、引き続き留置の必要ありとしてその申請を却下していたが、その後担当検察官も予期せぬ公判期日の延期で押収継続が長期化し、また適当な保管場所の不足から保管方法に困却するにいたつた等の事情から、漸次これを仮還付してその保管の全責任を原告に委ねようとの意向となり、昭和三四年三月中旬ごろから原告との間に本件バスの引取り方について話合うようになり、同年五月七日には東京区検察庁上席検察官名の正式文書(甲第一号証)をもつて本件バス仮還付の意向を原告に通告したこと、ところが、そのころになると原告は当初の態度をひるがえし本件バス九輛が破損しているとの理由でその受領を拒否したため、結局担当検察官はこれを同裁判所が押収するまで留置したこと、裁判所は担当検察官の申請にもとずき同年六月二九日に本件バス九輛全部を検証のうえ押収したが、同年八月三日事件の終結をまたず検察官および弁護人の意見を聞いて本件バス九輛全部を原告に還付し、昭和三五年一一月一七日に前記公訴事実全部について有罪を認定したうえ原告を罰金一〇万円に処する旨の判決をしたことを認めることができる。<中略>他に右認定を左右する証拠はない。
右事実によつて考えれば、押収当時本件バスはいずれも前記のような客送迎の物件として使用されたもので前記被疑事件の重要な証拠物であり、その内部の構造も原告が主張するようにはたして「店舗車」の実体を備えていたかどうかの点で客から飲食物代として徴する金員がたんに名目上のもので実質は運送料であるかどうかの判断の一資料としての証拠価値をもつうえに、これが有罪であればいずれも犯罪供用物件として没収の対象物ともなるという状況にあつたものであるから、このような状況下においてその必要ありとして裁判官の令状にもとずき、また原告の任意提出によりなされた検察官の押収処分そのものにはかくべつ違法とすべきものはないというべきであるが、適法になされた押収であつてももともと押収が所有者占有者の占有を排し、その使用収益処分を制限する強制の処分であることにかんがみれば、それを必要の最小限度に止めるべきことは法律上当然の要請であつて、もしなんらかの事由から当該物件につきその留置の必要が消滅したときには、右処分をした検察官はその還付の請求の有無にかかわりなくこれを直ちに還付すべき義務を負担し、右義務に違背するときは爾後の押収物の留置処分は違法となること刑事訴訟法第二二二条、第一二三条第一項の規定の趣旨から明らかであろう。もつともこの場合引き続き留置の必要ありや否やの判断は事の性質上第一次的にはその検察官にゆだねられているものというべきであるが右留置の継続が法律上の問題となる限り、窮極には裁判所の判断の対象となることはいうまでもない。本件における前認定事実によれば、担当検察官は本件バスにつきその自動車検査証、登録番号票を押収しかつその実況見分をしてその調書を作成して本件バスの写真を撮影添付しているのであるから、本件バスの存在そのもののほかにも証拠たるべきものがなかつたわけではなく、又、担当検察官が中途においてこれを原告に仮還付しようとしたことや結果的には裁判所が事件の終結をまたず原告に還付したこと等から、本件バス没収の可能性も当初に比較して減少したものといいうるところではあるけれども、検察官はなお留置の必要あるものと判断していたことはおのずから明らかであつて、右刑事事件の推移をみるときは原告は当初から公訴事実のうち本件バスで乗客を有償運送した点を争い、乗客から受領した金員はいずれも車内での飲食代である旨供述し、ついに公判中途からはその事業経営の主体をも争うにいたつているのであつて、少くとも本件バスは依然として右調書や写真に替えがたい証拠価値を有する証拠物であり、当時の原告の態度からみて引き続き留置の必要があるものと解し得られないではないから、この点についての検察官の判断はあながち非難に値しないものというべきである。またその押収の長期化は必らずしも検察官の怠慢に由来するものでなく、予期せぬ公判期日の空転審理方法の変更等の事情によりその証拠調請求の機会にめぐまれなかつたためであるというべく、これを違法とすることも相当でない。さらに本件において担当検察官は原告の請求にかかわらずこれを仮還付しなかつたものであり本件事案においては後記保管責任の問題とも関連してこれを早急に仮還付した方が結果的には妥当な処置であつたものというべきことは否定し難いところでもあるけれども、本来仮還付は、還付が留置の必要がないときに義務づけられているのと異なり、証拠物につきまだその留置の必要の消滅していない押収物についても没収の可能性が少いとか破損、消滅のおれがなく証拠の保全に支障がないとか等の事情があるときに担当検察官がその押収物の処分権限を保留したままで一時所有者等にその占有をもどし、使用を許可する処分であつて依然として押収の効力は継続しているものであつて、右仮還付をするか否かの判断は担当検察官の裁量に属する事項であると解すべきところ、本件が結果的にみて仮還付すべきであつたにかかわらず検察官がしかく判断しなかつたとしても、前認定の事実のもとでは、まだ右判断がその裁量の範囲を逸脱し、あるいはこれを濫用したものというには足りず、ひつきようこれをもつて違法とするのは相当でない。しからば結局担当検察官の前記押収の継続を違法とする原告の主張は理由がない。
三、次に、原告は担当検察官の本件バス九輛の保管方法が違法であると主張するので判断する。
<証拠―省略>ならびに本件口頭弁論の全趣旨と前記一の当事者間に争いのない事実をあわせると次のように認めることができる。すなわち担当検察官は、昭和三三年五月二一日に本件バス八輛をそれが営業を終えるとともに順次当時原告が車庫の代りとして借地していた東京都渋谷区千駄ケ谷一丁目三三番地の空地に集結させて同所でこれを差押え、同日右バス八輛の保管を当時逮捕されていた原告に代わりその内妻山中静に委託したが、その際本件バスの保管場所についてはかくべつの配慮はしなかつた。その後同年六月五日担当検察官が本件バス八輛の実況見分をした際原告もこれに立会つて前記山中静への保管委託処分を了承したうえ、爾後は実質上原告がこれを保管することとし、同年七月下旬ごろには検察庁から同庁が本件バス八輛とともに押収した本件バスのエンジン鍵六個の仮還付をうけ、自己の使用する修理工等に命じた前記空地で本件バス八輛を保管するかたわら新宿区役所から仮ナンバーの交付をうけて前記エンジン鍵を利用して本件バスの試運転をする等その機能低下の防止につとめていたところ、同年一一月ごろにいたり前記空地の地主から地代滞納を理由にその明渡しを要求されたため、原告は他に適当な保管場所もないまま本件バス八輛を原告宅前の公道である通称新宿御苑通りに移転し、同道路上にこれを停車させたままその保管を継続し、同月二五日ごろに右の次第を担当検察官に報告したところ、担当検察官も、これを承諾し、その際、押収もれとなつていた本件バスのうち番号⑨の一輛を原告から任意提出をうけて領置するとともに正式に文書で本件バス九輛の保管をその保管場所を前記道路上としたうえで原告に委託した。その後原告は前記道路上で本件バスの車内に修理工を宿泊させる等その部品の盗難、機能の低下等の防止に留意しつつその保管を継続していたが、なにぶん道路上のことで不便が多く、交通の面からも問題を生じ昭和三四年一月ごろにはこれを批難する新聞記事があらわれるようになつたので、担当検察官は原告に対し他に適当な保管場所をみつけるよう指示するとともに自らも東京財務局等を通じて保管場所を探したが結局みつからずそのままとなつていた。一方原告は本件バス九輛の押収によりその事業の経営が不可能となつたことから経済面で困窮しために修理工等も漸次解雇するのやむなきにいたり、ついに最後の一人も逃げ出すという事態となつてとうてい本件バス九輛の保管の責をつくせない状況となつたので、昭和三四年二月一一日の第六回公判期日に公判廷において担当検察官に対し自今その保管委託を辞退する旨申出たところ、担当検察官は以後は検察庁がその保管につき適宜処理する旨言明した。したがつて、原告は同日をもつて自己の保管責任は終了したものと考えてそれ以後の保管を放てきしたが、その後も担当検察官は本件バス九輛を自ら引き取り、あるいは他の適任者に保管委託をし、ないしは検察庁から監視者を派遣する等原告の保管に代るべき処置をとらなかつたので、結局同日以降は本件バスは前記道路上に放置され、これを現実に監守保存する者はなくなりその結果本件バスの部品の盗難があいつぐとともにその破損、機能の低下が急速に進行した。そのころから担当検察官は本件バス九輛の保管につき適当な場所が得られないので、その処置に苦慮した結果東京区検察庁上席検察官と相談したうえでむしろ本件バス九輛を原告に仮還付してその保管の全責任を原告に委ねる方がよいとし、しばしば原告に対しその旨連絡し、同年五月七日には上席検察官名で本件バスを仮還付するから請書を提出せよとの正式文書を送達したけれども、このころには原告は、本件バス九輛の破損を理由にその引取りに難色を示し、ついに右仮還付の通告に対してははつきりこれを拒絶したため、結局本件バス九輛はそのまま東京簡易裁判所が同年六月二九日押収するまで検察官の押収が継続したものである。
以上のとおり認めることができ、<中略>他に右認定を左右する証拠はない。
いうまでもなく押収は証拠物又は没収すべき物と思料されるものについて必要ある場合になされる強制の処分であり、所有者占有者の占有を排除して国が自らその占有を取得保持し、その間当該物件に対する所有者その他の使用収益処分を制限し、その私有財産権を制約するものであるから、それが没収により国庫に帰属するまでの間押収を継続するについては当該担当者はその押収物について相当の注意をもつてこれを保管し、その滅失、破損を未然に防止し、もつてその証拠力の保全、没収対象の確保等本来の押収目的に奉仕するとともに、その私有財産権を必要以上に侵害することのないようにすべき義務を負担するものというべく、これ押収という公権力の行使に内在する当然の義務であり、右の趣旨は刑事訴訟規則第九八条によつても明らかである。
これを本件についてみるに、担当検察官は当初本件バスを原告の内妻山中静に、後には原告自身に保管を委託し、その後昭和三四年二月一一日原告が保管委託の辞退を申し出るまでは、ともかく原告側においていちおう保存に必要な処置を講じて来たけれども、右辞退の申出に対し担当検察官は爾後は検察庁において適宜処理する旨言明しながらなんら有効適切な処置を講ずるにいたらず、結局において本件大型バス九台を漫然新宿御苑通りの道路に放置していたこととなるのであつて、その押収物に対する保管の責を尽したものといい得ないことは明らかである。もつとも前記証拠によれば原告の右保管委託辞退申出の後も検察庁が内規で定めた保管委託解除通知書は作成されず、原告もさきに仮還付を受けたエンジン鍵六個を検察庁に返還せず、ために担当検察官としては同日以後物収物が検察庁の直接保管に移行したとの明白な認識を欠いていたこと、担当検察官自身も国有地その他につき一、二保管場所の入手につき配慮したけれども結局これを確保するにいたらなかつたこと、よつて原告に仮還付しようとしたけれどももはや原告においてこれが受取方を拒否したためにいたずらに時日の遷延を重ねたこと等の事実をうかがい得ないわけではない。しかし押収にともなう前記の保管義務は窮極において右公権力行使の主体がこれを負うものであり、たとえ刑事訴訟法第一二一条第二二二条の規定により他の者に保管を委託した場合であつても当然その保管責任が解除さるべきものではなく、保管受託者の選択、保管状況の監督等を通じて依然自ら保管責任を負い、受託者に責任を転嫁し得るものではないのである。この故に仮りに原告の前記辞退の申出によつては直ちに保管委託が解除されたことにならないとしても、もともと押収を受けた者はその物件について保管委託を受諾すべき当然の義務あるものではなく、かかる本人が爾後その保管の責に耐えない旨申出ているにかかわらず強いて従前の保管委託を強行することは許されないものというべきである。また原告がエンジン鍵を返却しないからとて必らずしも検察官において本件バスのエンジンを動かす方途を有しなかつたものとはいえず、要すれば再び原告から右鍵を差し出させることもできたであろう。検察官が土地の入手に努力したとしても実現しない以上事態は少しも改善されない。その後にいたつて原告が仮還付に応じなくなつたとしても、もとより当然にこれを強制し得るものでなく、これによつて検察官側の保管責任が全面的に解消するいわれはないのである。もともと本件の如き大型バスをしかも九輛という多数を押収するについては、その収納場所、保管方法等につき相当の用意があるべきはずであり、仮りにもそれについて確たる成算もなしにたやすくこの強制の処分に出で、結局これをもてあますというようなことがありとすれば、それは本来つつしむべきことがらであるけれども、すでにその押収がなされ、かつそれが継続されたこと自体を違法とし得ないとする以上は、爾後はその保管責任を完うするものでなければ、結局その公権力の行使そのものを適法ならしめるものでないことは、ことの当然の帰結である。本件において担当検察官が次第に本件押収物の保管に苦慮するにいたつた実情は諒とするとしても、その間おのずから採るべき処置があつたものということを妨げず、これを期待するはなんら難きを強いるものではない。これを要するに本件において担当検察官はその押収にかかる本件バス九輛を保管するにつき必要な注意を欠き、その保管責任を完うするに足りず、その結果右押収物を荒廃せしめるにいたつたものであつて、ひつきよう右職務の執行は違法であり、かつ過失にもとずくものとせざるを得ないのである。従つて被告はこれによつて生じた原告の損害を賠償する責任があることは明らかである。
四、そこで、原告のこうむつた損害について検討する。<証拠―省略>によれば、本件バスが押収された当時、別紙目録番号②ないし④の三輛は原告の所有であつたが、同①の車輛は訴外いすず自動車株式会社の、同⑧の一輛は東京ふそう株式会社の、同⑤ないし⑦、同⑨の四輛は日野ジイーゼル株式会社のいずれも所有に属するもので、原告がそれぞれ右各会社から所有権留保の特約付で買受け使用していたものであることを認めることができる。右事実によれば、原告は前記②ないし④の三輛についてはその所有権そのものにもとずいて損害賠償請求権を有するし、その余の六輛については、特定物の引渡しを目的とする売買契約について債務者の責に帰すべからざる事由により目的物が毀損したものとして、その毀損は原告の負担に帰することとなるのであつて、その損害については所有権の侵害と同様に解してさしつかえはないから、以下便宜上、本件全車輛についてその所有権侵害がなされたものとして損害額を算出する。前認定の事実によれば少くとも本件バスの荒廃は昭和三四年二月一一日以降に生じたもので、それまではともかく原告において保管委託にもとずきその責に任じていたものであるからまず同年二月一一日当時における本件バス九輛の価額を算出する。<証拠―省略>と本件口頭弁論の全趣旨をあわせると、本件バスのうち、番号①の車輛は昭和三一年九月一日に、同②の車輛は同年一二月一〇日に、同③の車輛は昭和三二年三月ごろに、同④の車輛は同年六月ごろに、同⑥⑦の車輛は同年四月ごろに、同⑧の車輛は同年秋ごろに、それぞれ原告が別紙目録記載の各金額で他から購入したもの、同⑤の車輛は昭和三二年三月ごろに原告が代金一二五万〇三二五円で購入し金二〇〇万円を要してこれを修理したもの、同⑨の車輛は昭和三一年九月ごろ原告が代金八七万四七五〇円で購入し金二〇〇万円を要してこれを修理したものであること、原告は右各車輛を購入した順に直ちに原告主張の業務に使用したが、右使用が相当はげしく、ために本件バスの車体の消耗度は通常のそれよりも多く昭和三三年六月五日に担当検察官がこれを実況見分した際においては、目録番号⑨の車輛は前面ガラスおよび前照燈等が破損し前面部がかなり凹んで運転不能の状態にあり、他の八輛もそのブレーキは道路運送車輛法保安基準に適合せずある程度の整備を要するような状態にあつたこと、一般に大型バスの耐用年数は五年とされ、また特にこれを使用しなくとも一ケ年約金五〇万円の割合でその価額を減少するものであること(右事実は原告自身の供述するところである)を認めることができ、これによつて考えると、原告が本件バスを購入後これを押収されるまで使用していた期間についてはその使用状態にかんがみ原告の自認する減価率の二倍である一ケ年約金一〇〇万円の割合で、又は、押収されたのちの保管期間については原告の自認する一ケ年金五〇万円の割合でそれぞれの価額が減少しているものとするのが相当である(但し、番号⑨の車輛についても昭和三三年五月二一日以降実質的に使用されていないので、同日以降を保管期間とみなすこととする。)従つて、これにもとずいて本件バス九輛の昭和三四年二月一一日当時の価額を概算(なお、購入年月日が何月ごろという場合は当該月を満一ケ月として計算し、万単位未満四捨五入)すると、目録番号①の車輛の価額は約金一四七万円、同②の車輛の価額は約金一七五万円、同③の車輛の価額は約金二〇二万円、同④の車輛の価額は約金三二二万円、同⑤の車輛の価額は約金一六七万円、同⑥の車輛の価額は約金二九四万円、同⑦の車輛の価額は約金二一六万円同⑧の車輛の価額は約金二〇〇万円、同⑨の車輛の価額は約金七九万円以上合計金一八〇二万円相当となること算数上明らかであり、これが昭和三四年二月一一日原告がその保管委託の辞退を申出たときの価額というべきである。しかるに、<証拠―省略>をあわせると、六月二九日当時本件バス九輛はいずれもその重要な部品は盗まれ車体は破損して大型バスとしての性能はほとんど失つていたこと、そこで、原告は還付を受けた後昭和三五年二月五日に本件バスのうち三輛を合計金三〇万円で売却し、さらにそのころ本件バスのうち番号ないしの四輛が抵当権により競売されて合計金七〇万円で競落されたことを認めることができる。ところで、本件バスについてはこれを運行に使用せずかつ適切な保管方法をとつていたとしても、なおその一輛につき一ケ年金五〇万円の割合でその価額を減少することを免れないことは前記認定のとおりであるから、右に従つて前記昭和三四年二月から原告がこれを処分した当時たる昭和三五年二月ごろまでの約一年間に自然に減価すべき価額を算出すれば、九輛につき合計金四五〇万円となる。しからば、前記昭和三四年二月一一日当時の価額一八〇二万円から右自然の減価額金四五〇万円を差し引いた金一三五二万円と、原告が現実に処分して得た価額金一〇〇万円(残り二輛については原告がこれによりいくばくかの利益を得たと認め得る証拠がない)との差額金一二五二万円が担当検察官の前記違法な保管方法による荒廃の結果による損害というべきである。
ところで前認定の事実によれば原告は昭和三四年二月一一日本件バスの保管委託を辞退する旨申し出たまま検察官が直ちに自から適切な措置を講じないのを知りながらエンジン鍵を返還するでもなくあえてその監視を廃し、検察官からの仮還付の申し入れに対してもその破損を理由に拒否したものであつて、もし原告にして右申出後も検察官が直接これを引き取る等の措置に出るまでの間、不本意ながらも、従前のそれに準ずる監視を続け、あるいは破損や盗難による損害の問題は後日に留保し、とりあえずその仮還付に応じていたならば、右に見たような本件バスの荒廃は幾分その度を減じたであろうことが看取できる。本件バスがともかく原告の権利に属するものであり、その所在が原告の自宅のまん前であることに思いをいたせば、この程度のことを原告に期待するのは社会通念上不当とは解し得ない。しからば本件損害については原告もまたその一斑の責任を負うものというべく、これをしんしやくすれば本件の損害賠償額は金八〇〇万円をもつて相当とすべきである。
五、しからば、被告は原告に対し金八〇〇万円を支払う義務あるもその余の義務なきこと明らかである。
よつて、原告の本訴請求中、右金八〇〇万円およびこれに対する訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和三六年七月二一日から支払ずみまで年五分の遅延損害金の支払を求める部分は理由があるからこれを認容し、その余を失当として棄却すべく、訟訴費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を適用して主文のとおり判決する。(裁判長裁判官浅沼武 裁判官鈴木醇一 荒木恒平)
目 録(省略)